No | 1081 |
継承されている神楽の区分 | 石見神楽 |
神楽団名 | 苅屋形神楽団 |
ふりがな | かりやがた |
団長写真 | |
神楽団写真 | |
役職 | 代表
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ふりがな | まきはら しんじ |
代表者名 | 槇原 伸二 |
郵便番号 | 731-2317 |
旧市町村コード | 34364 |
県名 | 広島県 |
旧町名 | 芸北町 |
住所 | 山県郡北広島町苅屋形 |
HP | http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/ |
団体の発足時期 | 明治時代 |
団員数 | 男19名・女4名 合計23名 |
年齢構成 | 10代3名・20代8名・30代 3名・40代5名・50代4名 |
上演の状況 | 氏神祭り11月 競演大会イベント等出演回数 年15回程度 |
ふりがな | みやたにじんじゃ |
氏神神社名 | 宮谷神社 |
団員募集状況 | 募集中・他地区からの入団も可 |
備考 | 苅屋形神楽団は、広島県の北西部に位置する北広島町苅屋形地区に、明治10年頃、同地区や周辺地区の有志の尽力により「苅屋形神楽連中」として創設されました。舞の形式は、石見神楽邑智系を原型とした優雅で重厚ないわゆる六調子舞が独自に変化し発展したものです。先人の遺産である旧来からの儀式舞や能式舞について、舞法や奏楽の基本的な原理・原則を踏まえつつ技術の習得に日々精進しています。また、最近では、一部の曲目に浜田八調子舞を取り入れて、新たな舞法や奏楽などにも挑戦しています。当神楽団の由来書には、明治中期から大正初期にかけて、神楽の技能及び衣装などの一層の発展により、各方面に名声を博して、一時は奥山県の代表的神楽連中とまで呼ばれ、また、大正天皇の御即位の御大典の祝賀行事などで、山県郡内外から数多く招請されて神楽を奉納したことが記載されており、当時は、相当に活躍をしていたものと推察されます。先輩諸氏が築いた過去の栄光に恥じることがないように、更なる飛躍、発展を目指して団員一同が心を一つにして、神楽の継承に邁進しています。 |
保持演目 | [旧舞] 奉幣、潮祓、尊神、胴の口開け、四神、天蓋、塵輪、磐戸、八幡、天神、神武、八岐大蛇、矢旗、黒塚、大江山、恵比須、鍾馗 |
更新済 | 2006/5/3 |
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