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[第7部・神楽観賞の一考察]
森脇巌男(枝宮八幡神社名誉宮司)
新・旧という系統が生まれる

ここ数年来、神楽の振興と保存の熱が盛んとなり、
従来古くから伝わる伝統的神楽
(主として島根県邑智郡矢上系=以下一応、旧舞という)と、
戦後特に流行してきた高田郡神楽
(島根県阿須那系=以下一応、新舞という)
のニ系統をもって、毎年各地で
これらの神楽競演大会が繰り広げられるに至った。
これらの大会は郷土芸能の粋である神楽の鑑賞と振興、
さらに保存にまことに有意義である。
演技そのものは勿論のことその熱意と態度、
真剣な行動ぶりはかなり改革向上されたように思われる。
一例をとってみよう。
従来の神楽囃子方(楽人)と言えば、
酩酊して、手拭いで無造作に鉢巻きをし、
片方の足を一方の膝頭に乗せ、下肢を大半露出して、
むしろ滑稽(こっけい)と不作法の姿勢で囃子をしたものである。
しかし近頃は白衣に烏帽子、着袴といった服装で、
まさに祭事に奉仕する楽人である。
競演にはそうした服装と動作・態度でないと、囃子方の評価尺度に適合せず、
当然の減点になるからである。
そのような習慣が何時とはなく身に付いて、競演に限らずおよそ神楽の演行には、
これが囃子方の正しい服装。正しい作法として定着してきた。
旧舞は演舞と囃子が相分離して演行されるきらいがある。
この点新舞は実にリズムがよく、見ていて聞いていて心地よい。
こんなところから最近旧舞にあっても、動作と囃子の一致を徐々に考慮するようになった。
さらに演舞時間においても、時間観念をその計画に入れるように努力する姿が見受けられる。
これらは決して旧舞を変更するのではなく、
むしろその振興と保存の上に、
主流を脱しない立場にたっての設定を試みるに至ったわけで、
根本そのものは厳として保持されているのである。
時代の要求というか、ある意味での嬉しい抵抗というか、
旧舞がそのように進展していくのも
それはひとえに新舞のよき影響によるところが極めて大であり、
新舞の振興・普及に最も熱意のある高田郡の先生方の努力によるものと感謝する次第である。

小学校5年の時、初めて神楽なるものを舞った私は、
当時仮名ばかりの詞帳からそのままを書き抜き、
または先輩よりの口伝を教えられるままに覚え込んだり、
それをよく分からないまま演舞に程よく結び付けたりしたものだ。
こうした方法は何代も前から、すなわち代々こんな要領で伝承されてきたに違いない。
さらにその間、詞帳から誤り伝えられて要領の得ないものになった箇所がたくさんある。
人はよく言っている。
「新舞はその演舞中に詞をはっきり言い立てるので、舞そのものがよく判る。
旧舞もその点考案できないものであろうか」と。もっともな事である。
元来旧舞も"舞と詞"、"詞と舞"の関係は実によく編成結合されていて、
はっきりしているのである。
よく判らないのは詞の不正確さと記憶の不完全さ
----------つまりはその表現のまずさにあると思う。
およそ神楽団員たるものは、神楽詞そのものの表現の仕方を習熟する必要がある。
ただ機械的に舞い、機械的な詞では猿の猿まねであろう。
これに優雅さはない。
またゆっくりしていることのみが、優雅でもない。


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